2007年8月3日号の機関紙に、
当店主が取材を受け、なんとこの号は全ページ店主の特集となりました。
障害者・社会福祉問題を考えるコミュニティー機関紙ですが、
全国10万部発刊とのこと。
以下に、記事と全文を紹介していますので、是非お読みください。
(記事の大見出し、小見出しなども全て記載しています)







「デリーからロンドンまで、乗合バスで行けるのか?」
友達と飲んでいる席でふと口にした一言が引鉄となり、1974年、一人の青年が
ユーラシア大陸放浪の途方もない旅に出た。沢木耕太郎氏、26歳。
1970年に"防人のブルース"でデビューしたばかりのルポライターである。

気鋭のノンフィクション作家として世間の注目を集め始めたばかりの、
いわば作家として正念場の時期に、彼は全ての文筆活動をキャンセルすると、
机の引出しに転がっている一円硬貨までかき集め、ようやく作った1,900ドルを手に、
バックパックひとつで1年2ヶ月にも及ぶユーラシア大陸放浪の旅に出た。
マカオ、デリー、シルクロード、トルコ、ギリシャ、地中海、南ヨーロッパ、そしてロンドンへ。

「人のためにもならず、学問の進歩に役立つわけでもなく、真実をきわめることもなく、
記録を作るためのものでもなく、血湧き肉踊る冒険大活劇でもなく、
まるで何の意味もなく、誰にでも可能で、およそ酔狂な奴でなくてはしそうにないことを、やりたかったのだ。

産経新聞に連載されていた、このユーラシア大陸を香港からリスボン、そしてロンドンまでバスを使って
踏破する旅の様子を綴った紀行文"深夜特急"の中で、沢木氏は旅立ちの理由をこう述べている。

沢木氏には横浜国立大学経済学部を卒業後、入行した富士銀行を一日で退社したという
エピソードもある。この退職に至った理由についても所収のエッセイ"路上の視野"に
「出社途中の信号待ちをしている時に退職を決めた」と書かれている。
元来、既成の価値観や概念といったものに縛られないたちらしい。
そういう意味では、日本の草分けであると同時に、生まれながらのバックパッカーと言っていいだろう。

バックパッカーとは安価な料金で世界中を個人旅行する人々、落ちこぼれの流離人という
イメージが強いが、これは一旦離れてしまうと、これまでと同様の社会的立場に復帰することが
困難な日本の現状からくる偏見であり、もともとは自然への回帰を主張し、
伝統・制度など既成の価値観に縛られた社会生活を否定する若者たちが、
もう一度大自然から生きるための英知を学ぼうとする旅を意味している。

その後"深夜特急"は1989年に第一巻、第二巻、1992年に最終巻となる第三巻が新潮社より刊行。
また1996年から1998年にかけて名古屋テレビで3年連続3部作として放映され、
現在に至るまで、多くのバックパッカーにとってバイブルとなっている。

現在、バリ島を舞台にさまざまな福祉活動に取り組んでいる、
有限会社シルバーバインの吉川有美さんも、もとはそんなバックパッカーの一人だ。

「10代を学生とバックパッカーの二足の草鞋で過ごしたというか、チベット、インド、タイ、ネパール、
南太平洋、ポリネシア、ミクロネシア、ニュージーランド、オーストラリア、エジプト、モロッコ・・・
ずいぶんたくさんの国を廻りましたね。あれは確か、ネパールにいる時だったかな、
他国のバックパッカーの人から"バリがいい"って聞いて、飛んでいったんですよ」と、
懐かしそうにバリとの出逢いを語る吉川さん。

「私は東京生まれの東京育ちで故郷がないんですが、初めてバリに行った時に、
何だか故郷に戻ったような気がしたんです。まったく違和感がなくて。
ガラムの甘い香りが漂っていて、小さい頃に、父に連れて行ってもらった房総の海の香りに似てるなって。」

バリの神様はバリを好きになった人を、何度も何度もバリに引き寄せるという意味の"バリ・マジック"という
言葉がある。吉川さんもこの"バリ・マジック"に魅せられてしまった一人なのだろう。
日本に戻ると、またすぐにバリに帰りたくなり、幾度となく往復を重ねたという。


今回はバリとの出逢いがバックパック生活の終わりという吉川有美さん(30歳)に取材。
バリ島支援を生活の一部にしてしまった、新しい福祉の考え方を特集する。







「子供がいないからなのかもしれないけれど、子供に手を出すという行為が、
私にはまったく理解できない。まして捨てる、虐待する、殺すというのは理解の外にある」と、
刹那を口にする吉川さん。

90年の統計開始以来、日本における児童虐待件数は増加の一途を辿っている。
2006年度、全国の児童相談所に相談が持ち込まれた児童虐待件数は、
過去最高の37,343件に上った。法律によって規定される虐待を大別すると
@身体的虐待、A性的虐待、Bネグレイト(教育放棄)、C心理的虐待の四種類であるが、
虐待の発見が遅れ、児童が死亡するケースが増えているという。

虐待する親自身が幼児期に虐待された経験があったり、
うまくいかない夫婦関係のはけ口として子供に手をかけたり、
しつけと暴力をはき違えたりと。虐待が起きる原因はさまざまだが、
核家族化が進む中で、子育て支援の重要性がますます重要になっていることが分かる。

「バリ島で、育児ストレスという話を聴いたことも、見たこともない。
宗教的な違いもあるのでしょうけど、バリ島では、村で、地域で一体となって子供を育てている。
日本は豊かな暮らしと引換に、何か大切なものを忘れてきてしまったのではないか、
そんな気がします。」

確かに、日本でも一昔前までは地域全体で子育てが行われていた。
自分の子供であるなしに関わらず。悪いことをすれば近所のおじさんや、おばさんに怒られたし、
良いことをすれば誉められた。また、困った事が発生すれば隣近所の人がこぞって駆けつけてくれる、
そんな環境の中で育てられた記憶がある。

「もし今、自分の子供が近所のおじさんや、おばさんに怒られていたとするでしょう。
そうするとほとんどのお母さんたちは、なぜ怒られたのかということを自ら考え、
子供に考えさせる前に、勝手に怒ったという行為に対して反発し、文句を言う。
その結果として、大人と子供のコミュニケーションがなくなって、
子供はどんどん学ぶチャンスを失っていくんです」

バリ島の育児がすべて正しいとは思えない。しかし、"近所づきあいのあり方、
地域というもののあり方を、日本はもう一度原点に立ち戻り、バリ島から学ぶべき"という
吉川さんの考え方には一理あるように思える。

「例えば海外で日本人と出逢ったとするでしょう。目と目が合ったので挨拶しようとすると、
30代位の人って、すぐ目を逸らすんですよ。私は挨拶がコミュニケーションの基本だと考えています。
日本人はコミュニケーション能力が低いと言われていますが、遠い異国で日本人同士が出会い、
目と目が合っているにも関わらず、無視してしまう。そんな人たちに隣近所の人たちと
友好的なつきあいができるとは思えない」

かなり手厳しい言葉だが、吉川さんの、バックパッカーとして諸国を流離った経験に裏打ちされた
言葉だけに、強い真実味が感じられる。

ここ数年、"ALWAYS三丁目の夕日"や"地下鉄に乗って"など、昭和30年代を舞台にした
映画が順調が興行成績を残している。また当時のヒットソングのリバイバルやおまけ玩具、
飲食店の内装や、テーマパークの建設など、さまざまなところで巻き起こっている一大昭和ブームは、
お金はなかったが国中に活気があふれ、大きな希望と心温まる人情があった時代への
回帰を求める"心の悲鳴"なのかもしれない。




「社長は代表取締役として、会社をもっと大きくし、社員数も増やして、
できれば上場させたいと考えているようですけど、そんなお金があるのなら、
私はもっともっとバリ島に利益還元すればいいと思っている」

社長に申し訳ないのでオフレコでと言いながら、笑う吉川さん。
10代の若い娘が一人で放浪の旅に出ることを許した親御さんの決断力も素晴らしいが、
文句も言わずに会社の一事業部を吉川さんのやりたいように任せている
社長の器量の大きさも賞賛せずにはいられない。
吉川さんが思いのままにバリ島支援を行えるのも、こうした周りの理解と協力があればこそなのだろう。
そのためか、吉川さんはバリ島支援について"福祉"とか"ボランティア"という言葉を使わずに
"利益還元"という言葉で表現する。

「バリの人に品物を作ってもらっているという感覚なんですよ。
彼らがそれを作って、私が売る。だから利益は公平に分配する。
ようするに共同体ですよね」

最近、フェアトレードという言葉が使われるようになった。
途上国の、豊富な資源と伝統の技術を持ちながら、商品開発のノウハウや商品を販売する
市場の情報を持たない人々が、貧しさから抜け出し、自立できるよう、先進国が
自国の市場に受け入れられるためのアイデアを提供したり。技術研修や、原料・設備の調達に
必要な資金援助を行っていくことを意味している。

「その国、その国には風土によって培われてきた伝統や。文化がある。
今のフェアトレードは、こういう材料で、こういう商品を作れば、自国の市場で売れるから作りなさい。
そのために資金援助をしてもいいですよといった形で、途上国に先進国の文化を押し付けている
ようにしか見えない。仕事を与えてあげるというスタンスで、途上国を下に見ているように思えてならない」

これもまた吉川さんは切って捨てる。
「自国の文化を押し付け、それに合ったものを作らせるのではなく、
途上国の文化を尊重し、途上国ならではの素晴らしいものを輸入し、
自国の市場でそれに対する理解を求めていく。それが本当のフェアトレードじゃないですか」

例えば、平均月収が5,000円の国でその国のレートを基本に仕入価格を決め、
平均月収30万円の国で、その国のレートを基本に販売価格を決める。
これでは、どんなにたいそうなお題目を唱えたところで、百貨店の行っているPB戦略と
何ら変わるところはない。その利益の大半は先進国に吸収されることになる。
おそらく吉川さんの言いたいことは、こういうことだろう。

「うちで扱っているマッサージオイルやバスオイルの品質に着目して、
販売をしたいとか、ホテルのアメニティとして採用したいという話もたくさんいただきました。
最初は皆さん、バリ島支援にも理解を示してくださるのですが、実際に卸価格の話になると、
自社利益ばかりを追求してしまって、バリ島支援という気持ちがどこかに行ってしまう。
同じ思いを持ってくれる人や企業にはなかなか出会えませんね」と、少し寂しそうに笑う吉川さん。

利潤の追求と地域社会への貢献。
どのようにバランスを保っていくか、企業にとって難しい問題であることは間違いない。




「コモド島のとある民家に一年ほどホームステイさせてもらい、
ロンボク、フローレンス、スンバワ、ジャワ、ギリ三島など、インドネシアの島々を廻っていたことが
あるんですよ。一年間いたわけですから怪我もしたし、風邪をひいたりもしましたよ。
そうすると近所のおばちゃんがどこからか葉っぱを摘んできては、それを揉みほぐして
患部に塗布したり、煎じて飲ませてくれたりしたんですよ。最初は半信半疑でしたけど、
それが効果覿面で、怪我や病気がスパっと治るんですよ。」

そこから、インドネシアに古来から伝わる自然療法に興味を持ち、
さまざまな人と逢い知識の習得に努めたという吉川さん。

「なんでもかんでも日本に合った物を作らせるというのではなく、こういったものに対する
日本市場の理解を促進し、提供していく。それが私の理想とするフェアトレードです」

そんな吉川さんに、日本における利益還元や社会貢献は考えていないのかという質問をぶつけてみた。

「なんだかんだ言っても日本は経済的には豊かだし、あらゆるものが揃っているじゃないですか。
給料はちゃんと支払われているし、義務教育もきちんと行われている。
また、福祉やボランティアに取り組んでいる人もたくさんいて恵まれているじゃないですか。
インドネシアには経済的な豊かさも、物資もないんですよ。
だけど、自分たちがちょっと頑張って手助けするだけで、多くの子供たちが学校に行けたり、
植林によって生態系が守られたりする。」

確かにインドネシアに限らず、世界には途上国が数多く存在し、助けたいものはたくさんある。
しかし、それらのすべてを助けることは国家をもってしても不可能だろう。
まして、個人レベルで行おうとするならば、それはなおさらである。
日本人としては少し寂しい気持ちがしないでもないが、そうであれば自分のエゴと言われても、
10代の時から携わってきたインドネシアに限定して支援していきたいという吉川さんの気持ちも
分からないわけではない。

「それに日本で何かをしようとすると、手続きばかりで面倒くさいんですよ。
例えば、街に緑を植えようとするでしょう。そうすると役所にまず届を出して許可が降りるまでに数ヶ月。
それから何の木を植えるのかといった審査があって、実施できる頃には自分の気持ちが萎えてしまう。
また、今の日本法人だと、間に赤十字を絡めなくてはいけないとか細かい決まりがあって、
直接支援ができない。その結果として、自分たちの寄付したお金が自分たちの望んでいる形で
使われなくなってしまう。それが納得できないというのが本音かな。」

日本国内に、あえてバリ島支援の組織を作ろうとは思わないという吉川さん。
時折、資金援助を申し出る企業や個人もあるようだが、
現地の人たちと同じ目の高さで対峙するという精神が理解してもらえないかたについては、
空から降ってきたお金みたいで実がないと、辞退しているという。

「私たちは現金をもってバリ島へ行き、自分たちの目と耳と行動で利益還元をしています。
貧しい村の人々や、子どもたちにダイレクトに接して、本当に望まれている形での地域貢献をしていく。
そのスタイルはこれからも変りません」

そういえば取材前の雑談で"よく人から日本人としての意識が薄い"と言われると言っていた吉川さん。
日本人という意識の気希薄化と同時に、地球人としての感覚を身に備えた、
新しい時代のボランティア・ピープルなのかもしれない。




現在吉川さんは、ヒッピームーブメントの先駈けとしてバリ島へ渡り、
そのままこの島に定住してしまった英国人女性メラニ-さんと共に
「スパ ドゥパ スパイス社」の日本業務提携を結び、バリの自然療法を基に
同社が製造しているエステ商材等の日本市場への普及活動を行う一方、
得た利益の50%を還元する形で、
"スマトラ島のオランウータン保護活動"や
バリ島各地に幼稚園を設立する"バリ島子供プロジェクト"、
バリの自然環境保護を目的とした"マングローブ植林活動"、
"スマトラ島沖地震による津波被害者の支援活動"、
宗教上の問題から男性医師の診察を受けることのできない
"女性のための医療設備の充実"など、総合的な形でバリ島の生活向上に取り組んでいる。

「いつかはバリ島に、保護と支援を目的とした、日本発の財団法人を設立する。
それが私の夢なんです。例えばスマトラ沖地震による津波被害に対する日本の支援は、
先進国の中で圧倒的に少ない。その時だけ幾らかの寄付をして終わりという一過性の
貢献しかしていない。だけどあの地震でインドネシアの生態系が以前とはまったく
変ってしまったんです。これを元に戻していくには継続的に支援をしていかなくてはだめ。
そのためには現地に財団法人がぜったいに必要なんです。
ただ今、哀しいかな私自身が知識不足だし、資金不足。でもいつかはきっと実現させますよ」

吉川有美さん、まだうら若き30歳の乙女である。
合コンに明け暮れたり、物見遊山の海外旅行に出かけたり、
自分自身の楽しみのためだけに時間を費やしている同年代の女性も少なくない。
むしろ、そういった女性が大半だろう。そんな中で、なぜ彼女がここまでバリという島に
こだわるのかをすべて理解できたとは思わないが、
こういった女性もいるという新たな驚きをスタンディングオベーションで賞賛したいという気持ちにかられる。

今、始まったばかりの夢への道程はまだ遠く、険しいと言わざるを得ない。
しかし彼女なら、どんな困難も乗り越えていつかはその夢に辿りつくのではないかという
期待でいっぱいになった。


バリという島に携わり、12年が経過した。私がバリにこだわる理由は、
「私はバリ島に育てられた」という思いが強いからだ。

多感な時代のほとんどをバリ島、インドネシア諸島に費やし、一時的な観光では触れることの出来ない、
かなりディープなバリ島を見てきた。今のこの時代にありながらも、人々は神を信仰し、
それは土着文化として息づき、本気で神の祟りだのを信じている。

近所に薬局があるにも関わらず、未だに人々は「やっぱりこれよね」と、薬草を煎じて
貼ったり飲んだりしている。

多くの伝統芸能、踊りや歌、ガムランの調などは、そうした人々の信仰心や土着文化を守り、
愛する気持ちの集約であると思う。
これだけ島独自の文化を継承しながら、外国人にひるむことなくカタコトの英語で
気軽に「ハロー」と話しかけてくる人柄。
経済的には"貧しい"に属する島、国であるが、日本では感じえない"豊かさ"がある。
この、バリの豊かさを少しでも日本に伝えていこう。それがバリの神々に魅せられた
私の勤めだと考えている、

現在、シルバーバインではバリ島支援を目的とした事業部を置き、
さまざまなバリ製品の販売を通して得た利益を、バリ島に還元している。
「より利益を上げて、会社が大きくなれば、それだけバリ島の人々の仕事も増えるだろう」
そんなことを言う人もいる。それは一見、理想的な図式のようにも思えるが、
けっしてそうではない。人々が潤う前に"バリ島の自然体系を守り、存続していくこと"が大切なのだ。
人々には急な成長に追いつくだけの力があるかもしれないが、自然はそうはいかない。
私たち人間は、自然のスピードに合わせなければいけないのだ。

しかし、いつかはバリ島と日本での半々生活を送りながら、
バリ島内で日本発の保護財団を立ち上げたいと思っている。
現在、日本でも格差社会が問題化し、貧富の差が大きくなっていることは事実なのかもしれない。
しかし、世界的視野で見るならば、裕福な恵まれた国と言わざるをえない。
インドネシアでは、自分の国を出る時の出国税が払えないから、一生涯をバリ島で過ごすという人が
ほとんどなのだ。それくらい経済格差がある。

この恵まれた国に生れたラッキーを活かし、それを最大限にバリ島に還元し、
島に根づき、息使いの聞こえる自然の中、バリ島を訪れるまたはバリ島に関わる様々な国へ、
この素晴らしい島を伝承していく。それが私のライフワークである。




店主記事の感想係